第18回特別重要刀剣 無銘長谷部 附黑呂色塗鞘葵紋金具打刀拵
長谷部国重 無銘
南北朝時代に皆焼(ひたつら)というにぎやかで豪華な作風を展開したのが山城国の長谷部派です。この皆焼とは通常の沸(にえ)出来の乱刃に加え地中に飛焼や湯走りをおびただしく交え、さらに棟もさかんに焼くなどした動静に富む派手やかな作風です。鎌倉末期の行光、則重、正宗や南北朝初期の貞宗ら相州伝上工の作に似たものがあるため長谷部派相州伝を踏襲していると見られますが、相州伝が偶発的な要素が強い一方で、長谷部派は作為的に皆焼を表現しています。
この長谷部派の中でも代表格は長谷部国重、国信。
国重・国信ともに短刀・小脇差は多いのですが、太刀は甚だ少ないです。二人が短刀・小脇差を得意としてあまり作らなかったというよりは多くの刀が長寸であったため後世打刀として使えるように大磨上(おおすりあげ)にした結果無銘となったものと考えるのが正しいでしょう。
作者 | 山城国長谷部派 |
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時代 | 南北朝時代中期 |
説明 | こちらの無銘長谷部(国重)の刀は大磨上無銘ですが幅広で大峰の豪壮な姿態に板目に流れが混じって柾がかった鍛えを見せ、地沸が厚くつき、地景が頻りに入り、刃文はのたれを基調に小のたれ・互の目・丁子・尖り刃などを交えて沸が厚くつき、湯走り・飛焼・棟焼がかかって皆焼を形成するなど、まさに長谷部派の典型的な作風を示しています。長谷部派の中でも特に優れ、出色の出来栄えです。 |
法量 | 長さ 71.9㌢ 反り 1.1㌢ |
形状 | 鎬造、三ッ棟、身幅広く、元先の幅差少なく、重ねやや薄く、反り浅くつき、大峰 |
名物へし切長谷部
他に長谷部を語る際に忘れてはならないのが国宝「名物ヘシ切長谷部(へしきりはせべ、圧切長谷部)」(福岡市博物館にて保管)です。本阿弥光徳が大磨上無銘の刀を長谷部国重の作と鑑定して極めの金象嵌を施されました。身幅広く大峰で勇壮な大だびら姿態を呈し、重ねは薄く作りこまれています。
南北朝期延文・貞治頃の典型を表しています。現状は磨上て刃長2尺1寸4分強ですが、当初は3尺に近い大太刀であったと推察されます。
よく練れた精緻な肌合いに躍動感あふれる皆焼を焼いて見事な出来栄えで、同じ皆焼でも刃取りに国信とは異なるものがあります。当然のことながら光徳の時代には国重在銘の太刀が存在していた可能性は高く、しかも歴代の本阿弥家で随一の目利きである光徳の鑑定ですから、このヘシ切長谷部は長谷部国重極めの軌範となるものでしょう。
『享保名物帳』ではこの長谷部の伝来を信長‐秀吉―黒田長政とし、一方『黒田家重宝故実』では信長‐秀吉―黒田如水(官兵衛)としています。茎に黒田筑前守とあるので慶長5年関ケ原役後、長政が筑前52万石に封ぜられた以降に光徳に鑑定を依頼したことは明らかです。
ヘシ切(圧切)なる名号は信長が粗相を犯した茶坊主観内を手鎚にしようとした再、膳棚の下へ隠れてしまい刀を振り上げて切ることが出来なかったので、中へ刀を入れて押し付けるようにしたところ鋭い切れ味であったということに由来しています。
参考文献
『日本刀 五ヶ伝の旅 山城伝編』 田野辺道宏
『日本のかたな 鉄のわざと武のこころ』 東京国立博物館 1997
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