「備前長船という名前は聞いたことがあるけど、いつ始まったの?」
「日本刀のルーツとも言える刀工は誰なの?」
このような疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか。 岡山県の備前エリアは、日本刀の歴史において最大の生産地として有名です。しかし、その歴史がいつ、誰によって始まったのかは意外と知られていません。
実は、有名な長船派が登場するよりもずっと昔、平安時代にその基礎を築いた伝説的な刀工が存在します。それが古備前友成(こびぜんともなり)です。
本記事では、現存する日本刀の中でも最古級のサインを持ち、国宝鶯丸(うぐいすまる)の作者としても知られる友成の人物像と、平安の美意識を今に伝える作風について解説します。
日本刀の歴史を動かした偉大な人物
日本刀の歴史を語るうえで、備前伝(びぜんでん)は欠かせない存在です。多くの名工を輩出したこの地域ですが、そのルーツは平安時代の中頃(10世紀末〜11世紀頃)にまでさかのぼります。
古備前派の誕生
この時代に活動した刀工たちは、のちの長船派などと区別して古備前派(こびぜんは)と呼ばれます。その古備前派の代表的な刀工であり、事実上のリーダーとされているのが友成です。
友成は、同時代の正恒(まさつね)と共に、備前刀の基礎を作り上げた人物です。現在、博物館などで見ることができる作者の名前が入った刀としては最も古い時代の一人に数えられ、日本刀の歴史がいかに長いかを証明する存在でもあります。
永延の友成と、受け継がれる名跡
「友成」という名は、古備前派の中で数代にわたり受け継がれた名跡と考えられています。
伝説では一条天皇の御剣を鍛えた「永延(987年頃)の友成」が始まりとされており、現存する鶯丸などの作風は、少しあとの平安時代後期(11〜12世紀頃)の特徴をよく表しています。
いずれにせよ、日本刀が反りを持ち始めた最初期の姿を今に伝える貴重な存在であり、のちの刀工たちに多大な影響を与えたことは間違いありません。
平安貴族の美意識を感じる優雅な曲線
友成の作風には、戦乱の激しかった戦国時代の刀とは違う、優雅で落ち着いた特徴があります。それは、この時代の主な所有者であった平安貴族や武将たちの美意識が反映されているからです。
腰反りが描く優美な姿
友成の刀の最大の特徴は、腰反り(こしぞり)と呼ばれる独特の反り方にあります。刀の手元(柄に近い部分)で強く反り、切っ先に向かうにつれて反りが伏せられ、うつむくような形状をしています。
専門用語では「踏ん張りがつく」と、表現することもあります。大地にしっかりと足をつけて立つような力強さと、京の貴族文化に通じるしなやかな優雅さが両立されているのです。
古備前ならではの味わい深い刃文
刃文(はもん)についても、派手さより味わいが重視されています。小乱れ(こみだれ)や直刃(すぐは)といった、一見すると直線のようでありながら、細かな変化を含んだ刃文が特徴です。
また、光にかざすと刀身の平らな部分に映り(うつり)と呼ばれる影のような模様が浮かび上がることがあります。
これは備前刀のお家芸ともいえる特徴ですが、友成の時代からすでにその始まりが見て取れます。ギラギラとした輝きではなく、奥ゆかしい光を放つのが友成の刀なのです。
皇室の宝となった名刀、鶯丸
古備前友成の技術の高さを証明する最高傑作として知られるのが、御物(皇室の私有品)となっている太刀、鶯丸(うぐいすまる)です。
鶯丸の逸話
定かではありませんが、鶯丸という風流な名前は室町時代に小笠原政康という武将がこの刀を拝領した際、鶯(うぐいす)の交じる美しい声を聞いたという言い伝えに由来すると言われています。
鶯丸は、平安時代の作品とは思えないほど美しい姿を保っており、友成の代表作として高く評価されています。明治天皇もこの刀を愛剣として身につけられたと伝わり、まさに日本刀の横綱ともいえる一振りです。
大包平と並ぶ最高傑作
古備前派のもう一つの最高傑作として、国宝の大包平(おおかねひら)が有名ですが、友成の鶯丸はそれと並び称される存在です。
大包平が力強くたくましい剛の刀であるのに対し、友成の鶯丸は優美で気品ある柔の刀と表現されることがあります。どちらも備前刀の頂点ですが、友成の作品には、より古い時代特有のやわらかみと神々しさが宿っているのです。
まとめ
古備前友成は、単なる古い刀を作った人ではありません。現在私たちがイメージする「反りのある美しい日本刀」の形を決定づけ、備前という土地を日本一の刀剣産地へと押し上げた偉大なパイオニアです。
博物館や展示会で古備前や友成の文字を見かけた際は、ぜひその反りの位置(腰反り)に注目してみてください。千年以上の時を超えて、平安時代の雅な空気がそこから伝わってくるはずです。


