生涼軒勝寿(生竜軒勝寿花押)
こちらの鐔は生涼軒勝寿作、または生涼軒萩谷勝寿とも銘する人物です。江戸後期に常陸国水戸に在住、萩谷勝平の一族で勝平に類似の堅実で丁寧な高彫で人物図を彫る巧手です。
図柄にある太公望と聞くと釣り人を思い浮かべる方が多いかと思いますが、実は太公望とは中国周時代の賢人の名で、姓は呂、名は尚といい、妻に逃げられるほどの貧乏生活を長い間し、それにもめげず勉学をつづけた人物と言われています。やがて登用される日を期待しながら、使える君主もないまま魚を釣って糊口をしのいでいました。
そのころ周の名君・西伯は彼の祖父の古公(太公)から周の統治を助ける聖人が現れ、その人の力を借り周の国は栄えると言われました。
あるとき、西伯が猟に出かけると釣り糸を垂れている呂尚に出会います。西伯は呂尚と話をして彼をすっかり気に入ってしまい、「先君太公の頃から、まもなく聖人が現れ、州を興隆に導くであろうという言い伝えがありました。あなたこそ、その人に違いない、亡き父はあなたを長い間待ち望んでいたのです。」こう言って西伯は呂尚に太公望(太公に望まれた人)という号を与え彼を軍師に任じたのです。
この太公望の図柄は人気があったのか同じ図柄の鐔が何枚も作られています。呂尚のように将軍に引き立てられるようになりたいと願う武士たちの希望が込められているのかもしれませんね。
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